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2026年8月19日

静かな記録

このサイトを知ったのは、先週、勤務校の図書室で生徒が話していたのを小耳に挟んだからである。日付を選んで、その日のことを書く場所があるという。生徒たち自身は使っていないらしく、誰かの兄が書いている、という程度の話だった。 夜、自宅で開いてみた。最初に感じたのは、静かだということである。 記録は一日に数件ほどで、どれも短い。昨日の夕飯のこと、職場で言われたこと、ベランダの植物が芽を出したこと。中には、ずいぶん昔の日付を選んで、子どもの頃の遠足のことを書いている人もいた。誰かに読ませるために書いているというより、書き留めておくために書いている、という印象を受けた。 私はこの十数年、ほとんど何も書いてこなかった。若い頃は日記をつけていたが、教員になって忙しくなるにつれて、書く習慣は自然に途切れた。授業の準備や、生徒の提出物への所見は毎日のように書いている。しかしそれは、自分のための文章ではない。 いくつかの記録を読んでいるうちに、書くことそのものよりも、書く日付を選ぶという仕組みが面白いと思った。今日のことを今日書くのは日記である。ここでは、昔の一日を選んで、今の自分がその日のことを書いてもよいらしい。歴史を教える立場からすると、これは史料の書き方に近い。後から振り返って書かれた記録は、その日に書かれた記録とは性質が違う。記憶は薄れ、ときに書き換えられる。それでも、書かれなければ何も残らない。 試しに、何か一つ書いてみようと思った。しかし、いざ日付を選ぼうとすると、何も思い浮かばない。自分の人生の中で、書き留めておきたい一日というのが、すぐには出てこないのである。 結局、今日の日付を選んで、今日のことを書いている。 今日は、夏休み中の登校日だった。午前中は補習で、二年生の十人ほどを相手に、近世の土地制度について話した。暑さのせいか、半分ほどは途中で目を閉じていた。叱ろうかとも思ったが、自分が高校生だった頃も同じだったので、やめた。代わりに、少し早めに休憩を入れて、窓を開けた。蝉の声が教室に入ってきて、何人かが目を開けた。 午後は、職員室で二学期の授業計画を作った。途中で、隣の席の若い同僚から、生徒の進路相談について意見を求められた。私に答えられることは多くなかったが、話を聞いているうちに、同僚の方で答えを見つけたようだった。人の話を聞くだけで役に立つこともある。 帰りに、駅前の書店に寄った。新刊の棚を見て、何も買わずに出た。最近は、読むべき本が自宅に積まれていて、新しい本を買う余裕がない。 夕飯は、近所の定食屋で済ませた。この店に通い始めて十年近くになる。店主は私の顔を見ると、何も言わずに焼き魚定食を出してくれる。たまには違うものを頼もうかと思うが、結局毎回同じものを食べている。 こうして書いてみると、何ということのない一日である。特別な出来事は何もない。しかし、十年後にこの記録を読み返したら、補習で目を閉じていた生徒たちのことや、同僚の相談のことを、少しは思い出せるだろう、と書きかけて、やめた。十年後のことは分からない。 この場所は、しばらく静かなままでいてほしい。人が増えれば、それはそれで別の面白さがあるのだろうが、今のように、知らない誰かの夕飯の記録が一日に数件だけ並んでいる状態は、読んでいて落ち着く。 今夜はここまでにする。次に書くのがいつになるかは分からない。
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